幻戯書房NEWS
2024-03-18T09:10:05+09:00
genkishobou
新刊のお知らせ
Excite Blog
新井高子詩集『おしらこさま綺聞』刊行にあたって、新井さんのメッセージ「詩集『おしらこさま綺聞』のみちゆき」が届きました。
http://genkishobo.exblog.jp/29962701/
2024-03-14T11:45:00+09:00
2024-03-18T09:10:05+09:00
2024-03-14T11:45:25+09:00
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新刊情報
詩集『おしらこさま綺聞』のみちゆき
このたび、新詩集『おしらこさま綺聞』を幻戯書房より上梓しました。
この本は、東北弁や北関東弁を思わせるような、ちょっとふしぎなことばで綴られています。かねてよりわたしは、いわゆる「日本語」という近代言語の外側にある文体や声に興味をもち、そのリズムや制度で捉え切れない事象を、土地ことば的なセンスで掘り下げられないかと探ってきました。
いちばん最初に書いたのは、長篇詩「足だぢ」でした。まるで青天の霹靂のようにやって来たこの詩によって、本書の道は開かれました。じつは前詩集の刊行後、つぎにどんな試みをしたらいいか、わたしの心はさまよっていました。そんな2014年夏、津軽弁の巫女、桜庭スエによる『お岩木様一代記』(竹内長雄採録、坂口昌明編、津軽書房、2010年)に夢中になりました。当地出身の工藤正廣によるその音読も、くり返し聞いていました。
同じ時、学生時代に通った岩手県宮古市を再訪し、図書館の郷土史コーナーで「蛸と大根」という昔話を見つけました。それから自宅に戻り、津軽弁録音を聞きながら昔話のコピーを眺めていると、これが「日本語」で書かれてあるのが残念な気がしてきました。土地の響きで書き直してみようと思い付いたのです。言うなれば、ふとしたはずみでした。
ところが、ノートに綴りはじめると、旅の者である語り手が、情景を口説き下ろす設定がおのずと立ち上がり、土のにおいがするリズムにのって、内容が脱線をかさねていきました。鉛筆が勝手に走ったようでした。そして、いつのまにか、原作から遠くへ跳躍した「詩」と言っていいテキストができていました。
けれども、実力とは言えません。稀に、このような霹靂が降ってくるのが、詩作の無上の魅力ではありますが、それは不意に出現しただけで、二作目が同じように書けるわけがありません。わたしの東北弁の素養は、たった一作の「お岩木様一代記」きりだったのですから。
そんな折、岩手県大船渡市の仮設住宅集会室でことばの催しを立ち上げました。震災被災地で何かしたいという漠然とした思いからはじまったものでしたが、会場に主に集まってくださったのは、ご年輩のおばあさんたち、おんばたち。東北弁を学びたい思いも一方にありましたから、絶好の師匠たちとの巡り合いとなりました。お知恵を借りて啄木短歌を気仙弁の声に訳す企画を固め、成果として編著の本『東北おんば訳 石川啄木のうた』(未來社、2017年)を出版し、映画の企画制作でも通いました。
そうこうするうち、桐生生まれのわたしのからだに、東北弁が入ってくるようになりました。「足だぢ」をひとりぼっちにすることなく、その深い濁音を核にした詩がしだいになんとか綴れるようになってきました。
けれど、おんばのような生粋のことばではありません。暮らしの場所としてそこを捉えるすべもありません。養うことができたのは、気仙弁とも桐生弁とも津軽弁とも言えない、それらの雑種、クレオールであるような地べたを這う響きの文体。そんな未知なる声と抑揚が、まるでふしぎなカメラのレンズのようにどこかへ導いてくれたような……。
ささやかな挑戦ですが、お手にとっていただけたら幸いです。
2024年3月
新井高子
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2024年4月の新刊 イディッシュ文学を知っていましたか? ルリユール叢書にイディッシュ文学が加わります。
http://genkishobo.exblog.jp/29962283/
2024-03-14T09:09:00+09:00
2024-03-14T12:56:17+09:00
2024-03-14T09:09:27+09:00
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新刊情報
ドヴィド・ベルゲルソン/デル・ニステル
田中壮泰・赤尾光春=訳
二匹のけだもの/なけなしの財産 他五篇
予価:本体価格3,600円+税
予定ページ数:400頁
四六変形・ソフト上製
ISBN978-4-86488-297-2 C0397
刊行予定:2024年4月下旬
東欧ユダヤ文化の「生き証人」としてポグロム(虐殺)と亡命の記憶を活写した、ドヴィド・ベルゲルソン。「隠遁者」の筆名でスターリニズムのテロルを予感させる幻想的な作品を発表した、デル・ニステル。スターリン時代に粛清されたイディッシュ文学の代表作家二人の傑作短編集。
イディッシュとは:中欧、東欧系のユダヤ人が用いてきた言語。イディッシュYiddishは「ユダヤ語」の意。筆記の際にはヘブライ文字で表記する。居住地の言語が訛って生まれたユダヤ諸語のうちで、もっとも重要な位置を占める。10世紀ないし11世紀の上部、中部ドイツ諸方言を基礎とするが、それにヘブライ語、アラム語などの語彙が流入し、さらに14世紀中葉以降はスラブ圏の言語(とくにポーランド語)の強い影響を受けて、独自の発展を遂げた。今日ではドイツ語の近接語とみなされている。使用人口は、一時、1000万以上にも上ったが、現在では激減した。しかしなおイスラエル、ロシア、南北アメリカを中心に、世界各地のユダヤ共同体で用いられている(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)。
ポグロムとは:集団的で計画的な迫害・虐殺。特に19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロシアを中心に行われたユダヤ人の虐殺をいう(『デジタル大辞泉』)。
ベルゲルソンを構成しているのは、ひとつの悲劇だ。それは私たちの狂った時代が生んだ悲劇だ。ベルゲルソンの優れた仕事は、これからもユダヤ文学の中に残り続けるだろう。ベルゲルソンの悪しき仕事は、ひとがその悪に屈することがなければ、ひとつの教訓として役立つだろう。――アイザック・バシェヴィス・シンガー
典型的で一般的なものから個人的で私的なものへと至る、イディッシュ文学の変遷を知りたい読者は、ベルゲルソンの物語に目を向けてみるとよい。そこには解き明かされるのを待ち構えている広大な宇宙がある。ベルゲルソンはイディッシュ文学に新しい道を拓き、それを現代にもたらした。――アハロン・アッペルフェルド
全世界の作家たちにデル・ニステルの作品を読む機会が与えられたら、筆を折ることだろう。――イェヘズクル・ドブルーシン
デル・ニステル(「隠遁者」、ピンヘス・カハノヴィッチ(1884-1950)のペンネーム)は近代イディッシュ文学における最も謎めいた人物であった。予期せぬ紆余曲折に満ちた波乱万丈な人生において、彼は、神秘主義・象徴主義的な物語からリアリズム的な歴史小説の書き手へと、正体不明で不可解な芸術家から公的な活動家へと変貌を遂げた。スターリン体制の圧政下を生きた彼は、作家の使命とは人びとの証人になることだと信じるようになった。デル・ニステルの象徴主義の遺産はイディッシュ文学の研究者に評価されるようになって久しいが、ソヴィエト期の作品の豊饒さと複雑さが広く発見され、評価されるようになったのは、最近になってからのことである。――ミハイル・クルティコフ
【著者略歴】
ドヴィド・ベルゲルソン(Dovid Bergelson 1884–1952)
ロシア領ウクライナのオフリモーヴォ生まれ。キエフでイディッシュ語作家としてデビューし、1913年に発表した長編『すべての終わり』で一躍文壇の寵児となる。ロシア革命後の内戦時代にウクライナを去り、ベルリンに移住。ベルリン滞在は十年以上にも及び、その間、ウクライナのポグロムを主題とした小説を数多く発表した。1934年ソ連に帰還し、1949年に他のイディッシュ文化人らと共に逮捕され、1952年に銃殺される。
デル・ニステル(Der Nister 1885–1950)
ロシア領ウクライナのベルディーチェフ生まれ。本名はピンヘス・カハノヴィッチ(筆名は「隠遁者」の意)。象徴主義の影響を受け、神秘主義やフォークロアを題材とする幻想的な物語を書く。キエフの「文化同盟」に関わった後、ベルリン滞在を経てソ連に帰還。一九二九年に刊行した作品集が批判されて一時沈黙したが、ユダヤ人一家の没落を描いた『マシュベル家』で金字塔を打ち立てた。戦後、イディッシュ文化人の弾圧により逮捕、獄死。
【訳者略歴】
田中壮泰(たなか・もりやす)
1980年、大阪生まれ。立命館大学先端総合学術研究科修了(学術博士)。龍谷大学、東海大学非常勤講師。専門はポーランド文学、イディッシュ文学、比較文学。論文に「イディッシュ語で書かれたウクライナ文学――ドヴィド・ベルゲルソンとポグロム以後の経験」(「スラヴ学論集」25号)、共訳にキャロル・ギリガン『抵抗への参加――フェミニストのケアの倫理』(晃洋書房)、ヤヌシュ・コルチャク『ゲットー日記』(みすず書房)など。
赤尾光春(あかお・みつはる)
1972年、横浜生まれ。総合研究大学院大学博士後期課程修了(学術博士)。国立民族学博物館特任助教。専門はユダヤ文化研究、ロシア・ウクライナ地域研究。共編著に『ユダヤ人と自治――中東欧・ロシアにおけるディアスポラ共同体の興亡』(岩波書店)、『シオニズムの解剖――現代ユダヤ世界におけるディアスポラとイスラエルの相克』、共訳に『ディブック/ブルグント公女イヴォナ』(未知谷)、『トレブリンカの地獄――ワシーリー・グロスマン前期作品集』(みすず書房)など。]]>
3月の新刊3 3.11から福島県での暮らしをエッセイと短歌と綴る
http://genkishobo.exblog.jp/29877248/
2024-02-15T10:14:00+09:00
2024-02-15T10:14:34+09:00
2024-02-15T10:14:34+09:00
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新刊情報
白木蓮咲く 東日本大震災と原発事故と
四六上製 202頁
本体1500円
ISBN978-4-86488-296-5 C0095
3・11から13年。現地の生活者の視点で、短歌とともに振り返る日々。福島原発から60キロメートル離れていても、忍び寄る不安な日々。
夫の死別し、夫が描いた絵「白木蓮咲く」への慈しみ。
(本文より)
青天の霹靂だった。福島県人の生活環境が大きく変わった。2011年3月11日、石川町まちでは震度5強の揺れがありました。この地震はマグニチュード9で東北の太平洋沿岸に大きな津波を引き起こした。そして、津波は福島第一原発を襲った。原子炉は制御不可能となり、水素爆発が起きた。メルトダウンもした。その結果、放射能が漏れ出て各地に飛び散るようになった。
原発事故の起きた大熊町からは60キロメートル離れた、ここ石川町では「念のため、戸や窓を閉め換気扇を回さないようにしてください。外出はなるべく避け、外出をするときはマスクをしてください」と町内放送で呼びかけていた。ラジオやテレビは連日、原発事故の経過を報じていた。
(「あとがき」より)
出会い。
この偶然の軌跡によって、私は大きな道標を持つことができた。その一つ目は、夫との出会いでした。40年にわたる長い時間の中で、三人の子どもを授かり、お互いに少しずつ積み重ねてきた日常において、お互いを思いやる気持ちが培われてきた。その夫が昨年の10月2日にこの世を去った。その夫の死が認められなくて、それなら、夫の描いた絵を形として残したいと思った。
雪の道ラッセルしつつ行く夫の付けし足跡に重ねて歩く
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【装幀確定】3月の新刊2 みんな凡人、凡人として君たちはどう生きるか
http://genkishobo.exblog.jp/29874138/
2024-02-14T11:44:00+09:00
2024-02-27T10:34:23+09:00
2024-02-14T11:44:53+09:00
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新刊情報
森川慎也
40歳から凡人として生きるための文学入門
予価:本体価格2,400円+税
予定ページ数:196頁
四六並製
ISBN978-4-86488-295-8 C0098
刊行予定:2024年3月下旬
40歳になっても
凡人のままだった
すべての大人に捧ぐ
「こんなはずじゃなかった」「本気出すタイミングが」
「何者にもなれていない」……そりゃおおいに結構!
凡人を自負する文学研究者による、屈託ない凡人の生活と意見。
凡人だからこそ滋味深い文学の、人生を生きるための知恵が
あなたを待っている。
四十代になって私が日々思うのは、人間というのはつくづく無意味な存在だということである。私はそう思っているし、多くの読者の方もそう思っているのではないかと感じる。でも人間の存在が無意味だからといって、それで安心立命に生きられるのかというと、生きられない。人間はその無意味さに耐えられないからである。自分たちの存在が、自分たちの人生が無意味だと思うことに耐えられない。耐えられないから、生きることは意味を作り出すことになっていく。でも、意味を作り出すというのはじつは容易ではない。
そこで、文学を手がかりに凡人の人生にどのような意味を付与できるのかを考えよう、というのが本書のねらいである。(「まえがき」より)
目次
まえがき
1 私という凡人 について
この世は生きにくい―凡人であればあるほど/凡人は「影響力が皆無のまま一生を終える人」のこと⁈/凡人への一歩は四十歳を過ぎてから/凡人であることを受け入れる覚悟/私という「ブレない凡人」/両極端な両親(ともに凡人)/「分相応に生きろ」―凡人主義者の母/「凡人こそ努力すべき」―努力主義者の父/意地で英語の本を読み続けた青年時代/凡庸さの厚みが増していく―四十代、凡人の目覚め/老いたらみな凡人
2 カズオ・イシグロの面白さ―凡人だから分かること
カズオ・イシグロの作品から凡人について考える/イシグロの非凡な経歴/非凡人を凡人に格下げするイシグロの小説/「ささやかな満足感」―『生きる LIVING』のメッセ―ジ/いじわるなイシグロ/イシグロの作品の理屈/他者の評価よりも自分の満足感を―凡人へのメッセ―ジ/なぜイシグロの文学に惹かれるのか―『浮世の画家』を読んで/イシグロの超越的視座/変わり続ける時代の趨勢/浮世の世界は乗り越えられるか/イシグロのパラドックス/超越志向を避ける態度―凡人へのメッセ―ジ
3 読書感想文―凡人だからこそ本を読んで考える
山本七平『日本人の人生観』を読んで思うこと/ジェ―ン・E・ハリソン『古代芸術と祭式』から芸術のことを考える/イアン・マキュ―アン『土曜日』は気に入らない
4 平凡な読者のための文学の読み方
文学の授業はなぜつまらないのか/文学を文学の言葉で教えることはむずかしい/自分の書いた論文を学生に読ませてみる/文学を語る言葉について/凡人の不幸―非凡な著作を読んでも非凡になれない/凡人の生き方は凡人から学ぶしかない/ソポクレスの『オイディプス王』―凡人にはこう読める/モ―ム『人間のしがらみ』―凡人のためになる小説/凡人に分かる人生の無意味さこそ文学の入り口
5 平凡な文学研究者のメモ書き
研究テ―マは発酵するのを待つ/問いを立てるとはどういうことか―他人の問い、自分の問い/文学とは? 文学を読むとはどういうことか?
6 文化と凡人―文化、文学、人生と意味付与の関係を考察する
文化とは何か/神、言葉、文化―人間の意味付与が生み出したもの/戦争―無意味な人間同士の無意味な争い/文化は普遍でなく、個別のものである/「言葉ありき」でなく「意味はない」から文化は始まる/人文学―超越的な意味付与でできた学問/文学は人間を映す鏡である/意味と無意味―文化、文学の基底にある二つの命題/個人の感情と想像力/文学研究の意義―作者と読者のコミュニケ―ションを記述する/意味付与の相対化―異なる文化を旅すること/人生と意味付与―E・D・クレムケの場合/人生の意味付けは個人の領分である/開き直りこそ凡人の生き方の極意
あとがき
【著者略歴】森川慎也(もりかわ・しんや)1976年、姫路市生まれ。姫路獨協大学外国語学部英語学科卒業。同大学院言語教育研究科言語教育専攻修士課程修了。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修士課程修了。同博士課程修了、博士(学術)。北海学園大学人文学部教授。共編著に『カズオ・イシグロの視線――記憶・想像・郷愁』(作品社)、Japanese Perspectives on Kazuo Ishiguro(Palgrave Macmillan)がある。]]>
【装幀確定】3月の新刊1 新井高子詩集『おしらこさま綺聞』を刊行します。
http://genkishobo.exblog.jp/29874029/
2024-02-14T11:08:00+09:00
2024-03-15T05:01:12+09:00
2024-02-14T11:08:36+09:00
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新刊情報
装幀はミルキィ・イソベさん
カバー写真は著者
新井高子
おしらこさま綺聞
2024年3月上旬14日刊
ISBN978-4-86488-291-0
C0092 ¥2200E A5上製変型(200×148) 132頁
声よりも深い音っこ、
生類は抱えておるんじゃねぇのすか。――
記憶と地層の深みから
〈未知なる声〉が響き渡る
圧巻の想像空間
『タマシイ・ダンス』『ベットと織機』に続く新詩集
著者略歴
1966年、群馬県桐生市で織物工場を営む家に生まれる。詩集に『詩集 覇王別姫』(緑鯨社)、『タマシイ・ダンス』(未知谷、第41回小熊秀雄賞)、『ベットと織機』(未知谷)。英訳詩集に『Factory Girls』(Edited by Jeffrey Angles、Action Books、第1回Sarah Maguire Prize最終候補)等。震災後、啄木短歌を岩手県大船渡市の土地ことばに訳す企画を立ち上げ、編著『東北おんば訳 石川啄木のうた』(未來社)刊行。その発展で、映画『東北おんばのうた――つなみの浜辺で』(監督・鈴木余位、山形国際ドキュメンタリー映画祭2021アジア千波万波部門入選)を企画制作。戯曲評論に『唐十郎のせりふ ――二〇〇〇年代戯曲をひらく』(幻戯書房、第32回吉田秀和賞)。アイオワ大学国際創作プログラム2019招待参加。詩と批評の雑誌『ミて』編集人。]]>
【装幀確定】2024年2月の新刊 18世紀から現在までフランス文学の中の鳥たち『鳥たちのフランス文学』
http://genkishobo.exblog.jp/29814222/
2024-01-11T13:55:00+09:00
2024-01-26T09:23:01+09:00
2024-01-11T13:55:50+09:00
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新刊情報
岡部杏子・福田桃子=編著
鳥たちのフランス文学
予価:本体価格3,400円+税 3,740円(税込)
予定ページ数:352頁
四六上製
ISBN978-4-86488-294-1 C0098
刊行予定:2024年2月下旬
鳥はもはや〈人間にとって手が届きそうで届かない存在〉ではなくなったのだろうか。
18世紀の自然誌から、デボルド゠ヴァルモール、ジョルジュ・サンド、バルザック、ヴェルヌ、ビュトール、プルースト、ルーセル、ブルトン、ボヌフォワ、マリー・ンディアイまで――18世紀から21世紀にいたるフランス文学の世界を飛び翔る鳥たちの姿を渉猟、精読する。
【目次】
序(岡部杏子)
1 セストスの鳥、高潔な鳥、鉤状嘴の鳥――自然誌から鳥類学へ(中村英俊)
2 サヨナキドリが歌うとき――マルスリーヌ・デボルド゠ヴァルモールの死生観<(岡部杏子)
3 ジョルジュ・サンドとバルザックのいくつかの小説における鳥と剥製(博多かおる)
4 神ジュール・ヴェルヌと鳥たちの世界(石橋正孝)
5 ゴモラの鳥たち――『失われた時を求めて』におけるつがいの幻想(福田桃子)
6 レーモン・ルーセルにおける鳥の調教と詩(新島進)
7 シラサギが飛び立つまで――アンドレ・ブルトンにおける«aigrette »(前之園望)
8 鳥の影の主題による変奏――イヴ・ボヌフォワの二篇の詩をめぐって(三枝大修)
9 ハシボソガラスと血――マリー・ンディアイ『魔女』における鳥(笠間直穂子)
あとがき(福田桃子)
【編著者略歴】
岡部杏子(おかべ・きょうこ)
1977年、東京都生まれ。東京都立大学博士後期課程単位取得退学。現在、学習院大学文学部フランス語圏文化学科助教。専門は十九世紀近代詩。著書に『象徴主義と風景――ボードレールからプルーストまで』(共著、水声社) 。訳書に、ヴァレリー・アファナシエフ『声の通信』(未知谷)、ジャン゠ルイ・ドブレ、ヴァレリー・ボシュネク『フランスを目覚めさせた女性たち』(共訳、パド・ウィメンズ・オフィス)がある。好きな鳥はサヨナキドリ、コマドリ、ハクチョウ。
福田桃子(ふくだ・ももこ)
1978年、神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学、パリ第四大学大学院博士課程修了、博士(文学)。現在、慶應義塾大学経済学部准教授。専門は19世紀・20世紀フランス文学(マルセル・プルースト)およびフランス映画。著書に『Les femmes tutélaires dans À la recherche du temps perdu : approche intertextuelle de la _gure de la servante』(オノレ・シャンピオン)、『映像表現の地平』(共著、中央大学出版会)。訳書に、ジェラール・マセ『フォルチュニのマント』(水声社)、ミシェル・ビュトール『レペルトワールI [1960]』『レペルトワールII[1964]』『レペルトワールIII[1968]』(共訳、幻戯書房)がある。好きな鳥はクロウタドリとシジュウカラとアオガラ。
【執筆者略歴】
中村英俊(なかむら・ひでとし)
1976年、宮城県生まれ。パリ第四大学文学部文学研究科博士課程単位取得退学。現在、明治学院大学ほか非常勤講師。専門は18世紀フランス文学、科学史。共著に『近代フランス小説の誕生』(水声社)などがある。好きな鳥はメジロ。
博多かおる(はかた・かおる)
1970年、東京都生まれ。パリ第七大学博士課程テクストとイメージの科学科、東京大学大学院人文社会系研究科欧米系文化研究専攻修了、博士(文学)。現在、上智大学教授。専門はバルザック、十九世紀の表象文化・音楽。共著に『十九世紀フランス文学を学ぶ人のために』(世界思想社)、訳書にバルザック『ゴリオ爺さん』(『ポケットマスターピース03バルザック』所収、集英社)、パスカル・キニャール『約束のない絆』(水声社)などがある。好きな鳥はリュウキュウコノハズクとイソヒヨドリ。
石橋正孝(いしばし・まさたか)
1974年、横浜生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学、パリ第八大学大学院博士課程修了、博士(文学)。現在、立教大学観光学部准教授。専門は19世紀フランス文学(ジュール・ヴェルヌ)。著書に『大西巨人 闘争する秘密』(左右社)、『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険――ジュール・ヴェルヌとピエール゠ジュール・エッツェル』、など。訳書にミシェル・ビュトール『レペルトワールI [1960]』『レペルトワールII[1964]』『レペルトワールIII[1968]』(監訳、幻戯書房)、『ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションIII エクトール・セルヴァダック』(インスクリプト)、レジス・メサック『「探偵小説」の考古学│セレンディップの三人の王子たちからシャーロック・ホームズまで』(監訳、国書刊行会)がある。好きな鳥はオーギュスタン(イエスズメ)。
新島進(にいじま・すすむ)
1969年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業、同研究科修士課程(フランス文学)修了、レンヌ第二大学博士課程修了、博士(文学)。現在、慶應義塾大学教授。専門はレーモン・ルーセル。編著書に『ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち』(水声社)、訳書にミシェル・カルージュ『独身者機械』(東洋書林、レーモン・ルーセル『額の星 無数の太陽』(國分俊宏との共訳、平凡社ライブラリー)、ミシェル・ビュトール『レペルトワールI [1960]』(共訳、幻戯書房)などがある。好きな鳥は(さんざんカケスの話をしておきながら)シジュウカラ。毎春、家のウッドデッキに巣箱を設置し、番いのかいがいしい子育てを見守っています。今年は卵を八つ産んでいました。
前之園望(まえのその・のぞむ)
1976年、東京都生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学、リヨン第二大学大学院博士課程修了、博士(文学芸術学)。現在、中央大学文学部准教授。専門はアンドレ・ブルトン、シュルレアリスム。著書に『「前衛」とは何か? 「後衛」とはなにか?』(共著、平凡社)、『声と文学』(共著、平凡社)、訳書にアニー・ル・ブラン『換気口』(エディション・イレーヌ)、ジャン゠リュック・クールクー『スルタンの象と少女』(文遊社)、ミシェル・ビュトール『レペルトワールIII[1968]』(共訳、幻戯書房)がある。好きな鳥はシラサギに加えてカワセミとカワウ。
三枝大修(さいぐさ・ひろのぶ)
1979年、千葉県生まれ。ナント大学博士課程修了、博士(文学)。現在、成城大学経済学部教授。専門は近代フランス文学。共著に『モダニズムを俯瞰する』(中央大学出版部)、『フランス文学を旅する60章』(明石書店)、『ジュール・ヴェルヌとフィクションの冒険者たち』(水声社)、訳書にジュール・ヴェルヌ『シャーンドル・マーチャーシュ 地中海の冒険[上・下]』(幻戯書房)、ミシェル・ビュトール『レペルトワールI[1960]』『レペルトワールII[1964]』(共訳、幻戯書房)などがある。好きな鳥はフラミンゴ。
笠間直穂子(かさま・なおこ)
1972年、宮崎県串間市生まれ。上智大学外国語学部フランス語学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程単位取得退学。現在、国学院大学文学部准教授。専門はフランス語近現代文学。文芸翻訳。著書に『文芸翻訳入門』(フィルムアート社、共著)、『文学とアダプテーション』(春風社、共著)など。訳書に、マリー・ンディアイ『心ふさがれて』(インスクリプト、第十五回日仏翻訳文学賞)、モーパッサン『わたしたちの心』(岩波文庫)、C・F・ラミュ『詩人の訪れ 他三篇』(幻戯書房)、ジャン・フランソワ・ビレテール『北京での出会い もうひとりのオーレリア』(みすず書房) などがある。好きな鳥はエナガ。
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【装幀確定】2024年2月の新刊 大西巨人とは何者であったのか。『大西巨人論――マルクス主義と芸術至上主義』
http://genkishobo.exblog.jp/29814213/
2024-01-11T13:43:00+09:00
2024-01-30T15:34:51+09:00
2024-01-11T13:43:46+09:00
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新刊情報
山口直孝
大西巨人論
マルクス主義と芸術至上主義
ISBN978-4-86488-293-4 C0095 ¥4500E
A5上製 予408頁
定価(本体4,500円+税) 4,950円(税込)
2024年下旬刊
革命の担い手「われわれ」が生まれるには、
独りでも行く「われ」が存在しなければならない
日常生活そのものが闘争の場であることを示した作家・大西巨人。
公正の実現を目指し、現実と芸術とを実践的に結びつけた文学者の、類を見ない創作の展開を追跡する。
並走者武井昭夫、湯地朝雄の仕事にも及ぶ、運動としての文学に迫る考察。
既成の権威や秩序を維持するために公平さが損なわれる事例は世にあふれている。そのような状況に直面しても、同調圧力を撥ね返して異議を唱えるのは難しい。また、不服従の姿勢を維持するのも簡単ではない。不利益を受けることを覚悟しながら態度表明を行い、実践を続けるには相当の熱量を必要とする。困難さを知りつつ、自己の責務として問題に積極的に介入することと、大西巨人は知識人の当為と見なしている――「あとがき」より
著者略歴
山口直孝(やまぐち ただよし)
1962年兵庫県生まれ。関西学院大学大学院文学研究科博士課程後期課程単位取得済退学。博士(文学)。現在、二松学舎大学文学部教授。専門は日本近代小説。著書に『「私」を語る小説の誕生-近松秋江・志賀直哉の出発期』(翰林書房)、編著書に『横溝正史研究』(戎光祥出版、既刊6冊)、『漢文脈の漱石』(翰林書房)、『講座近代日本と漢学 第六巻 漢学と近代文学』(戎光祥出版)などがある。大西巨人関連では、『大西巨人 抒情と革命』(河出書房新社)、『日本人論争 大西巨人回想』(左右社)の編集協力、『歴史の総合者として―大西巨人未刊行批評集成』(幻戯書房)の編集解説(石橋正孝、橋本あゆみとの共同作業)がある。]]>
【装幀確定】2024年1月の新刊1 ルリユール叢書52冊目は『ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集』です。
http://genkishobo.exblog.jp/29780219/
2023-12-13T10:18:00+09:00
2023-12-27T17:06:36+09:00
2023-12-13T10:18:43+09:00
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新刊情報
〈ルリユール叢書〉第38回配本 (52冊目)
ラウパッハ、シュピンドラー 他
森口大地=編訳
ドイツ・ヴァンパイア怪縁奇談集
Sammlung unheimlicher deutscher Vampirgeschichten
予価:本体価格4,200円+税
予定ページ数:464頁
四六変形・ソフト上製
ISBN978-4-86488-292-7 C0397
刊行予定:2024年1月下旬
あそこに座っているのは、生命の花が咲き誇っていた時のアンジェロではなく、死の床にあった彼、私が二度も棺にいるのを見た彼と同じなのです。
ポリドリ『ヴァンパイア』ブームのさなか、1820~30年代にかけて発表された、ラウパッハ『死者を起こすなかれ』、シュピンドラー『ヴァンパイアの花嫁』など怪縁が織りなすドイツ・ヴァンパイア文学傑作短編集。本邦初訳。ヴァンパイア学者が詳述する訳者解題「ヴァンパイア文学のネットワーク」を併録。
すなわち吸血鬼は死と生との世界に同時に住み、両界を自在に往還するすべを心得た二重存在なのである。彼は重い棺のなかに閉じ込められているが、夜になると生ける者のようにさまよい歩き、夜が白むのと同時にふたたび墓の下に舞い戻る。死の国の住人でありながら、生きた人間の仮面をかぶって生の世界に闖入してくる能力を備えているのである。――種村季弘
人間の本質の奥深くに根ざすヴァンパイアへの怖れは、しきりに村落や地方をまるごと脅かしてきたが、教養ある人々は民間にはびこるこの病に格別の注意を払わなかった。しかし、それも、恐怖の荒波がやがて高潮となり、遠く離れた人々の目にも無視できなくなるまでのことだったのだ。――シュテファン・ホック
【著者略歴】
エルンスト・ラウパッハ(Ernst Raupach 1784–1852)1784年にシュレージエンのシュトラウピッツにある牧師の家に生まれる。ハレ大学で神学を学んだ後、兄のいるペテルブルクに移り創作を始める。さる侯爵家の家庭教師を務めるかたわら、大学教授としての業務に追われるが、外国人排斥運動を受けてドイツに戻る。宮廷顧問官のとりなしでベルリンの劇場に腰を落ち着け、1852年に死亡するまで創作を続ける。
カール・シュピンドラー(Karl Spindler 1796–1855)
1796年にブレスラウの音楽教師の家に生まれる。父の仕事の関係でストラスブールに移住するが、フランス軍侵攻を受けてアウクスブルクに逃れる。演劇にのめり込み、十年ほど旅芸人の下働きをした後、スイスで作家として生計を立てようとする。最初はうまくいかず、生活のために数々の作品を発表した。32年にバーデン゠バーデンに移住し、1855年に当地で死亡。
ゴットフリート・ペーター・ラウシュニク(Gottfried Peter Rauschnik 1778–1833/35?)
1778年にケーニヒスベルクに生まれる。Ph. Rosenwall名義で風俗旅行記などを出版。オランダやドイツのライン地方、スイスなどを周遊した後にいくつかの雑誌・新聞を編集。最終的にライプツィヒに移り住み、当地で1833/35?に死亡。
ヨーゼフ・エマニュエル・ヒルシャー(Joseph Emanuel Hilscher 1806–37)
1806年にチェコのリトムニェジツェに生まれる。軍学校に入り、教師の影響で文学に親しむ一方で、軍人としても出世し、最終的には宮廷勤めを果たす。しかし、1837年にミラノで病死。生前に出版された作品は少ないが、後にその詩や翻訳が編集され出版されるようになる。また、死後四半世紀ほどして記念碑も建立された。
カール・イジドーア・ベック(Karl Isidor Beck 1817–79)
1817年に、ハンガリーのバヤに住むイスラエル人の両親のもとに生まれる。ウィーンで医学を学んだ後、メッテルニヒ体制の検閲を逃れてライプツィヒに移り、「若きドイツ派」のグスタフ・キューネと親交を結び、文学の道に入る。『鉄道』という詩で有名になった後、ニコラウス・レーナウなど数々の人物と交流する。脳炎によって、ウィーンの病院で1879年に死亡。
ルドルフ・ヒルシュ(Rudolph Hirsch 1816–72)
1816年にモラヴィアのナパイェドラで、伯爵家の法律顧問をしていた経済学者でもある父のもとに生まれ、後にチェコのブルノに移る。ウィーンで法律を学んだ後、ブルノの市役所に勤め、そこでヴィーザーと知りあう。幼い頃から音楽への情熱を育んでおり、市役所での仕事に嫌気がさしてライプツィヒに移る。後にトリエステやウィーンで重役に就くが、余暇には趣味の音楽や文学に時間を費やし、創作を続ける。1872年にウィーンで死亡。
ヨーゼフ・リッター・ヴィーザー・フォン・メーレンハイム(Joseph Ritter Wieser von Mährenheim 1813–86)
1813年にチェコのブルノで商人の父のもとに生まれる。オルミュッツの大学で法学を学び、地元ブルノの市役所に勤める。ヒルシュとの共作後は、彼と違ってそのまま地元に留まり、仕事のかたわら創作を続けている。1886年にブルノで死亡。
フランツ・ゼーラフ・クリスマー(Franz Seraph Chrismar 生歿年不詳)
詳細は不明。ペシュト在住であったと考えられる。東欧・南欧を巡る旅行記をいくつか残している。
【編訳者略歴】
森口大地(もりぐち・だいち)
1990年生まれ。ヴァンパイア学者(ヴァンピロロジスト)。京都大学文学研究科博士後期課程修了後、『ドイツ語圏を中心とした初期ヴァンパイア文学史――セルビアの事件からルスヴン卿の後継者まで』で京都大学博士号(文学)を取得。現在、関西学院大学ほか非常勤講師。専門はヴァンパイア学(ヴァンピロロジー)。主に18~19世紀のヴァンパイア史、ヴァンパイアを題材にした史料・文学テクストや論文。業績と連絡先についてはリサーチマップを参照( https://researchmap.jp/vampirforscher )。
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12月の新刊 藤田榮史郎『詩集 日本語音声楽』を刊行します。
http://genkishobo.exblog.jp/29745952/
2023-11-16T14:51:00+09:00
2023-11-16T14:51:31+09:00
2023-11-16T14:51:31+09:00
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未分類
詩集 日本語音声楽
ISBN978-4-86488-289-7
C0092 ¥3000E A5上製 248頁
音声表記は時代を映す鏡
日本語と英語の発音から見えてくる世界
スマホを持たないという生き方の愉しみ
本書収録作品より
日永一日
世間話にふける
若者の姿が見当たりませんね
ほんとにスケなくなっちまった
伸さんとこの末っ子だって
こないだ出てったし
集団下校するランドセルの哄笑が
ヒプシロフォドンの咆哮に聞こえたらしく
卒倒した痴呆期
宅配便のダンボールが玄関でドスン
ティラノサウルス
ではないよね。ないよ。
安堵が急性貧血の引き金となった覚醒期
丹精込めた五葉松の盆栽を
処分してほしいと訴えたのは
痴呆期だったか
覚醒期だったか
身体はすでに物質純正の静謐を湛え
銀化した陰毛が神々しい
その肉と骨が
人間界へ復員した
著者紹介 昭和25年(1950)、福井県福井市生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。第一詩集「朝からインドネシヤ」(1978)、第二詩集「今」(1994)がある。本書は第三詩集。]]>
【装幀確定】12月の新刊 ルリユール叢書51冊目はクロード・シモン『ガリバー』です。
http://genkishobo.exblog.jp/29745773/
2023-11-16T09:55:00+09:00
2023-12-13T11:16:45+09:00
2023-11-16T09:55:04+09:00
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新刊情報
〈ルリユール叢書〉第37回配本 (51冊目)
クロード・シモン 芳川泰久=訳
ガリバー
予価:本体価格4,500円+税
予定ページ数:480頁
四六変形・ソフト上製
ISBN978-4-86488-290-3 C0397
刊行予定:2023年12月下旬
『フランドルへの道』『ファルサロスの戦い』『農耕詩』など、前衛的、実験的小説作品を発表した〈ヌーヴォー・ロマン〉を代表する作家であり、ノーベル文学賞作家のクロード・シモン――シモン独自の書法で紡がれた、第二次大戦末期の、とある日曜日の出来事の〈居場所のなさ〉をめぐる初期の長編小説。本邦初訳。
文学作品は創造され、それでも理解される。というのも、それが言葉にされたものとして、つまり作家の見るものから創造されるからであり、無からの創造ではないからだ。作家は言う。私は何も作り出していない。私は自分の見たものを語る。[…]クロード・シモンは言う。目に見えるものは無限であり、文学は無限である。――より倍率をあげれば、人は常に言うべきことを見つけることができる。人は常にじゅうぶん生きてきたから書けるのだ。それは、存在するもののコピーを意味するだろうか? 存在するものの重複を意味するだろうか? 作家にとっては、自分の語るものは自分が見たものである。――だが見られたものは多形(ポリモルフ)であり、無定形(アモルフ)である。見るとは思考することではない。見たものを書くとはじっさい、見たものを加工することだ。[…]さまざまな見えるもの(すなわちプルーストでいえば、現在と過去)において、あるいは見えるものと人びとに含まれるものにおいて、差異化というか同じ次元の起伏は同じ軸上にあって、同じ本質を分け持っている。というか、それらは相互に「比喩(メタファー)」になっていて、「隔たり」さえ提供している。世界とは見られたものによって、語られたものによって定義されるのではなく、見られないものによって、語られないものによって、正確にいえば、あるものと他のものとの差異によって定義される。この差異によって、作家は作家となるのだ。
――モーリス・メルロ゠ポンティ
【著者略歴】
クロード・シモン(Claude Simon 1913–2005)
1913年、マダガスカル生まれ。満1歳にならないうちに父を、11歳で母を亡くす。1925年、パリのスタニスラス校の寄宿生となり、バカロレア試験をはさんでイギリスで語学研修。パリで絵画を学ぶ。1936年、バルセロナに滞在しスペイン内戦を観察。全国労働者連合(CNT)と連絡を保ち、武器の購入と輸送に協力。1939年、竜騎兵連隊に召集され、捕虜となるも脱走。1945年、『ペテン師』を出版。『風』以降「新しい小説」を書く。代表作に『フランドルへの道』、『農耕詩』など。1985年、ノーベル文学賞を受賞。
【訳者紹介】
芳川泰久(よしかわ・やすひさ)
1951年、埼玉県生まれ。早稲田大学名誉教授。著書に、『闘う小説家 バルザック』(せりか書房)、『謎とき『失われた時を求めて』』(新潮社)、『『ボヴァリー夫人』をごく私的に読む』、『バルザック×テクスト論 〈あら皮〉から読む『人間喜劇』』(以上、せりか書房)、『村上春樹とフィクショナルなもの――「地下鉄サリン事件」以降のメタファー物語論』(幻戯書房)ほか多数。訳書にクロード・シモン『農耕詩』(白水社)、バルザック『サラジーヌ 他三篇』『ゴプセック・毬打つ猫の店』(以上、岩波文庫)、フローベール『ボヴァリー夫人』(新潮文庫)ほか多数。
【ご注文・ご予約は 幻戯書房直販部でもお受けしています】]]>
23年11月の新刊2 甘里君香詩集 を刊行します
http://genkishobo.exblog.jp/29709962/
2023-10-06T13:34:00+09:00
2023-10-06T13:44:13+09:00
2023-10-06T13:34:13+09:00
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新刊情報
卵 権
ISBN978-4-86488-287-3 C0092
A5判変形 定価(本体2,200円+税)
11月下旬刊
居心地の悪さと自分のままでいることの自負。鮮烈な言葉で問うセクシュアリティ
ほら俺は男だと
手を取りズボンの股間を触らせる男は
面子すなわち股間を立てるのが女と
信じているようだから
思いっきり面子を膝蹴りのち
大外刈りから背負い投げで
中央通りに這わせたら
ようやく
女が人間だと理解するだろうか
……言葉は脳を通過するらしい
【著者略歴】
甘里君香(あまり きみか)
1958年埼玉県川口市に生まれ二歳から東京都中野区に育つ。
三〇代前半に京都市に転居。
種智院大学仏教福祉学科を特待生として卒業のち研究員。
第一詩集『ロンリーアマテラス』(思潮社)ほか著書に『京都スタイル』『イケズな京都』など。
日本ペンクラブ会員。日本エッセイスト・クラブ会員。]]>
【装幀確定】ルリユール叢書50冊目は、セリーヌの『戦争』です。23年11月の新刊1
http://genkishobo.exblog.jp/29708585/
2023-10-04T18:02:00+09:00
2023-11-06T09:29:35+09:00
2023-10-04T18:02:23+09:00
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新刊情報
ルリユール叢書 50冊刊行
ルイ゠フェルディナン・セリーヌ Louis-Ferdinand Céline
森澤友一朗=訳
戦 争Guerre
予価:本体価格2,500円+税
予定ページ数:272頁
四六変形・ソフト上製
ISBN978-4-86488-288-0 C0397
刊行予定:2023年11月下旬
20世紀のスキャンダル作家セリーヌの死後60年の時を経て発見され、「21世紀の文学史的事件」と国内外で話題を呼んだ幻の草稿群のひとつ、『戦争』――『夜の果てへの旅』に続いて執筆された未発表作品にして、第一次大戦下の剥き出しの生を錯乱の文体で描き出した自伝的戦争小説が本邦初訳で登場!
本書・セリーヌ『戦争』(Guerre)は、国書刊行会『セリーヌの作品14 戦争・教会 他』(1984)所収の「戦争」(Casse-pipe)とは全く別の作品です。後者は著者の生前にフランスで出版されていた未完の作品ですが、本書『戦争』は、セリーヌが盗まれたと主張していた遺稿群のなかの作品であり、レジスタンスによって保管されていたものが2021年に発見されて大ニュースとなり、翌22年に出版されたものの日本語訳です。
【著者略歴】
ルイ゠フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline 1894–1961)
フランスの作家・医師。パリ郊外で医業に携わるなか、俗語・卑語を駆使したデビュー作『夜の果てへの旅』で圧倒的反響を巻き起こした。第二次大戦にあたっては、激越な反ユダヤ主義パンフレットを書き連ねたため、終戦間際にデンマークへ亡命、現地にて逮捕、収監された。大赦を得ての帰国後は、パリ郊外ムードンに居を構え、亡命行を主題とした三部作などでフランス語の構文を破砕する言語実験を推し進めた。死後も現在に至るまで、その文学的達成と反ユダヤ主義言説との関係が国内外で度々スキャンダラスな議論を巻き起こし続けている。
【訳者紹介】
森澤友一朗(もりさわ・ゆういちろう)
1984年、岡山県生まれ。翻訳者。劇団解体社所属、パフォーマー・文芸・制作。東京大学文学部フランス語学フランス文学専攻課程卒。劇団では過去に「セリーヌの世紀」と題して、訳し下ろしたセリーヌのパンフレや小説を題材とした連作を国際プロジェクトとして展開。
ルリユール叢書 既刊は小社ホームページをご覧ください。
ルリユール叢書刊行一覧(刊行順)
ルリユール叢書(国(言語)順)
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【装幀確定】23年10月の新刊2 ルリユール叢書に3冊目のセルビア文学が加わります。
http://genkishobo.exblog.jp/29691832/
2023-09-12T14:54:00+09:00
2023-09-28T13:22:20+09:00
2023-09-12T14:54:12+09:00
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新刊情報
装幀は小沼宏之さん
ルリユール叢書第35回配本 (49冊目)
ラーザ・ラザーレヴィチ 栗原成郎=訳
ドイツの歌姫 他五篇
予価:本体価格3,500円+税
予定ページ数:360頁
四六変形・ソフト上製
ISBN978-4-86488-285-9 C0397
刊行予定:2023年10月下旬
気高い魂は沈黙した。息が詰まりそうになった。もはや涙は出なかった。涙は胸の中を流れて心臓の上に落ちてそこで石になった。
森鷗外『舞姫』を彷彿させる、ドイツ留学したエリート医学生の西欧との出逢い、東欧との疎隔とその葛藤を描く自叙伝的作品『ドイツの歌姫』。古き良き民衆を大らかな共感と深い洞察で活写し、19世紀セルビアのリアリズム文学を確立したラザーレヴィチの中短編六篇を収録。本邦初訳。
【著者略歴】
ラーザ・ラザーレヴィチ(Лаза К. Лазаревић / Laza K. Lazarević 1851–91)
セルビアの医師、作家。1851年セルビア北部のサヴァ川沿いの町シャバッツに生まれ、1891年ベオグラード没、享年39。新設間もないベオグラード大学法学部を卒業後、国費留学生としてベルリン大学医学部に留学し、帰国後は医師として働き新興国家セルビアの医学の発達に多大の貢献をした。医療に従事するかたわら中短編小説を書いた。古代的な家父長制大家族共同体の社会構造をもつセルビアの農村を舞台としてそこに生きる人々の生活を温かい目で描写したリアリズム作家として注目された。珠玉の作品9篇は広く愛読されている。
【訳者紹介】栗原成郎(くりはら・しげお)1934年、東京生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。東京大学名誉教授。博士(文学)。専攻はスラヴ文献学・スラヴ言語文化論。 著書に『スラヴ吸血鬼伝説考』(河出書房新社)、『ロシア民俗夜話』(丸善)、『ロシア異界幻想』(岩波書店)など。訳書にアンドリッチ『宰相の象の物語』(松籟社)、『呪われた中庭』(恒文社)、ブルリッチ゠マジュラニッチ『昔々の昔から』、ポゴレーリスキイ『分身』(群像社)など。
■セルビア文学 既刊
山の花環 小宇宙の光
イェレナ、いない女 他十三篇]]>
【装幀確定】23年10月の新刊1 米山優『精読 アラン『心の冒険』を刊行します。
http://genkishobo.exblog.jp/29691816/
2023-09-12T14:30:00+09:00
2023-09-28T13:19:56+09:00
2023-09-12T14:30:41+09:00
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新刊情報
精読 アラン『心の冒険』
装幀は小沼宏之さん
予価:本体価格6,000円+税
予定ページ数:632頁
四六上製
ISBN978-4-86488-286-6 C1011
刊行予定:2023年10月下旬
「私は一覧表が欲しいわけでも、一つの体系が欲しいわけでもない。私は多くの考察から始めたい。たとえそれら〔考察〕が整合的でなくても、それらは三重の鎧をまとったこの人間の心というものをすべての側面から攻略してくれるだろう。」
人はいかにして、身体を用いて、心の冒険をしているのか?
アランが最後にたどり着いた
「プロポ」の先の、哲学の思索
〈労働〉〈倦怠〉〈羨望〉〈野心の初段階〉〈気分〉〈愛の情動〉〈永遠なもの〉……人間の心の諸冒険の動きに寄り添い、考察する38章の哲学レッスン。『アラン『定義集』講義』の著者による翻訳+解説の日本語版オリジナルで送る、アラン晩年の哲学思想の集大成!
●著訳者略歴
米山優(よねやま・まさる)
1952年東京生まれ。1981年東京大学大学院人文科学研究科単位取得退学。名古屋大学名誉教授。著書に『モナドロジーの美学──ライプニッツ/西田幾多郎/アラン』(名古屋大学出版会)、『アラン『定義集』講義』(幻戯書房)など。訳書に、ライプニッツ『人間知性新論』(みすず書房)など。
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【装幀確定】23年9月の新刊1 各地に伝わる「雪女」伝説は、ラフカディオ・ハーンの「怪談」が元ネタだった!?
http://genkishobo.exblog.jp/29665255/
2023-08-14T11:37:00+09:00
2023-08-30T15:44:44+09:00
2023-08-14T11:37:18+09:00
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新刊情報
遠田 勝
「雪女」、百年の伝承
辺見じゅん・木下順二・鈴木サツ・松谷みよ子・そしてハーン
2023年9月下旬刊
978-4-86488-283-5 C0095 四六判上製 256頁 本体2800円
雪女伝説はラフカディオ・ハーン『怪談』から生まれた。
わずか100年あまりの「民話」の変遷を、ハーン研究者が丹念に辿る。
「雪女」は、本来、英語圏読者のために英語で創作された近代的な短編小説だったのだが、いくつかの翻訳と翻案を経るうちに、いつしか日本固有の伝説として地方に根づき、口碑として語りつがれ、ついには、昔話・民話として人々の間に記憶されるようになった。その、言語・ジャンル・メディアの境界を横断するさまは、二十世紀という越境の時代にあっても異様に感じられるのだが、…… (本文より)
目次
はじめに
一 白馬岳の雪女伝説の誕生
「データベース」のなかの「雪女」/白馬岳の雪女伝説はハーンの「雪女」に由来する/民俗学の流行、山の伝説さがし/引き写された本邦初訳の『怪談』/バレット文庫の「雪女」草稿では/いたずら者の青木記者/「雪女」、アイヌ伝説になる/物語は地名をもとめ、地名は物語に魔力を与える/阿寒湖、疑惑のマリモ伝説の作者は? /巌谷小波にひろわれた「白馬岳の雪女」/北安曇に出た「雪女郎」の正体
二 松谷みよ子と童話「雪女」
民話を「書きたい」「読みたい」という情熱/都市芸術としての「民話」/『夕鶴』との、まわりくどい因縁話/民話「雪女」をハーンに「戻し交配」する/情話から童話への変換/増殖する「雪女」と消された足跡/禁じられた『怪談』と小さな崇拝/『怪談』の児童文学化/一九五〇年代の「幽霊・妖怪ルネッサンス」/『怪談』、国語教科書へ
三 民話「雪女」からハーンを逆照射する
レヴィ=ストロースの構造主義と日本の異類婚姻譚/巳之吉の奪われた視線/母と子の魔法圏/母子神話と父子神話/「雪女」、その悲しみの正体
四 「雪女」、遠野の物語になる1 鈴木サッと失われた方言世界の復元
「雪女」、方言を獲得する/町の雪女、村の雪女(福島)/雪女の恩返し(栃木)/山姥になった雪女(山梨)/「銀山平の雪女」(新潟)―戦時体制への順応/「雪女(ゆきおなご)の話」(遠野)/父、力松の膝の上で/遠野の「雪女」の来歴/失われた言語空間への遡行―愛する人の物語を追って
五 木下順二とハーンの消えた関係l 歌舞伎『雪女』の世界
木下順二の沈黙/「雪女」と『夕鶴』、三つの類似点/歌舞伎『雪女』執筆の経緯/『雪女―歌舞伎俳優のために—』のあらすじ/原拠と失敗原因/先師、同志そしてライバルとして
六 辺見じゅんの「富山十六人谷伝説」
「人に息を吹きかけ殺す」モチーフと「雪女」/「まんが日本昔ばなし」の「十六人谷伝説」/「黒部山中のこと」(『肯搆泉達録』より)/青木純二「十六人谷」(黒部渓谷)/『山への味到』と『ある山男の話』/「十二組の坂」(富山県宮崎村)/秋田の「三十人小屋場」伝説/「雪女」の白い姉妹/アンデルセンの『雪の女王』/C・S・ルイスの「白い魔女」そしてギリシア神話/鎮魂と慰霊の語り手、辺見じゅん/辺見じゅんの「十六人谷」/子供たちの記憶に刻印されたこと/民話と創造/「十六人谷」に「雪女」を接ぎ木する/東京都檜原村の「大きな柳の木」―マルチメディアの時代の民話の伝承/民話化する「雪女」/「雪女」化する民話/創出される伝統
七 「雪女」はなぜ越境するのか 補遣 テキストと注解
取り上げるテキスト/誤訳の源流―高濱長江訳「雪女」/青木純二「雪女(白馬岳)」/巖谷小波「白馬岳の雪女」/小柴直矩「煙と消えた雪女」/村沢武夫「雪女郎の正体」/なぜ「雪女」は越境するのか
遠田勝(とおだ• まさる)
1955年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科(比較文学比較文化修士課程)修了。神戸大学大学院国際文化学研究科教授を経て神戸大学名誉教授。
専門は英米文学、比較文学。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)研究を中心に、明治期のジャパノロジー、外国人の見た神道、近代の「民話」などに関する著書、訳書、論文多数。
主な著書に『小泉八雲 回想と研究』(共著 講談社学術文庫)、『世界の中のラフカディオ・ハーン』(共著 河出書房新社)、『小泉八雲事典』(共著 恒文社)、『〈転生〉する物語―小泉八雲と「怪談」の世界』(新曜社)などがある。]]>
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