

装幀は緒方修一さん
井上ひさし熱風至るⅠ・Ⅱ(全2冊)
四六判 本体 各3,200円+税(税込3,520円)
I 528頁 978-4-86488-257-6 C0093
II 560頁 978-4-86488-258-3 C0093
2022年10月下旬同時刊。
明治維新は果して、そんなに美しかったのか。
答えは新選組のなかにある。
司馬遼太郎『燃えよ剣』刊行の十年後、同じ「週刊文春」で連載を始め、編集部の忖度で中断した幻の作品、没12年目に初の書籍化。
戯作者たらんとした作家の、身分解放へのまなざし。新選組への違和感と洞察。
解説:成田龍一
■連載開始にあたっての著者による予告文
明治維新が美化されすぎているような気がしてならない。維新は果してそんなに美しかったのだろうか。わたしはその答えを新選組のなかに求めてみたい。姿勢をできるだけ低くして、歴史の陰画を陽画に変えてみようと思っている。
●本文より
久太郎は首を捻った。さむらい百姓というのは、田畑を耕す一方で剣術に凝り、勘定奉行の名で「百姓の武芸稽古は農業を妨げ、身分を忘れて気き嵩がさになる故、堅く相い止め申すべく候」という村触れが回っているのに、空とぼけて剣術道場に通ったり、田畑や雑木林など人目につかないところでこっそり腰に二本差して嬉しがったりしている連中を、久太郎のような町家の者がからかい半分で言うことばである。
いってみればこれは、弾家差配の方たちの実験なんだ。弾家の支配を受ける人間に身分の枠がどれだけ超えられるかどうかという、これは実験なのさ。