菅井千佐子白木蓮咲く 東日本大震災と原発事故と四六上製 202頁
本体1500円
ISBN978-4-86488-296-5 C0095
3・11から13年。現地の生活者の視点で、短歌とともに振り返る日々。福島原発から60キロメートル離れていても、忍び寄る不安な日々。
夫の死別し、夫が描いた絵「白木蓮咲く」への慈しみ。

(本文より)
青天の霹靂だった。福島県人の生活環境が大きく変わった。2011年3月11日、石川町まちでは震度5強の揺れがありました。この地震はマグニチュード9で東北の太平洋沿岸に大きな津波を引き起こした。そして、津波は福島第一原発を襲った。原子炉は制御不可能となり、水素爆発が起きた。メルトダウンもした。その結果、放射能が漏れ出て各地に飛び散るようになった。
原発事故の起きた大熊町からは60キロメートル離れた、ここ石川町では「念のため、戸や窓を閉め換気扇を回さないようにしてください。外出はなるべく避け、外出をするときはマスクをしてください」と町内放送で呼びかけていた。ラジオやテレビは連日、原発事故の経過を報じていた。
(「あとがき」より)
出会い。
この偶然の軌跡によって、私は大きな道標を持つことができた。その一つ目は、夫との出会いでした。40年にわたる長い時間の中で、三人の子どもを授かり、お互いに少しずつ積み重ねてきた日常において、お互いを思いやる気持ちが培われてきた。その夫が昨年の10月2日にこの世を去った。その夫の死が認められなくて、それなら、夫の描いた絵を形として残したいと思った。
雪の道ラッセルしつつ行く夫の付けし足跡に重ねて歩く