装幀は緒方修一さん
石原深予 編
枯草のクッションを敷いた古馬車 尾崎翠全集未収録作品ほか 四六上製 予384頁
本体予価 4800円
ISBN978-4-86488-299-6 C0093
2024年5月下旬刊
私はじき一昨日の夜まで非常に健康でした。何故といえば、此処【ルビ=ここ】の家族は一昨日の夜まで私のことをちっとも病人と思っていなかったからです。
1998年の『定本尾崎翠全集』刊行以後、新たに発見された「書簡集の一部分」(小説“小野町子もの”)をはじめとする書籍初収録作品の集大成。
かつ『全集』ほか従来の解説の誤りを正す解題、最新版の年譜等も収録。
おお、こおろぎ嬢、私は黙って心理医者の研究室を出ました。私の外套には香料なんか振りかけてありません。私の外套には、いちめん枯草の香が滲みこんでいたのです。枯草は私をこの家まで運んできた小さい箱馬車のなかにありました。古ぼけた小型の箱馬車。枯草は箱馬車のクッションです。 ――「書簡集の一部分」より
尾崎翠(おさき・みどり)
明治29年(1896)鳥取県岩美郡に生まれる。鳥取県立鳥取高等女学校卒業後、代用教員をしながら誌紙へ投稿。大正8年(1919)4月、日本女子大学校国文学部入学。『新潮』大正9年1月号に長篇小説「無風帯から」を発表し本格的に文壇へデビューするが、女子大から問題視され退学。昭和6年(1931)『文学党員』および『新興芸術研究』に発表した「第七官界彷徨」で注目されるも、翌7年夏に病を得て9月に帰郷、静養。再び上京することはなかった。昭和8年、東京・啓松堂から『第七官界彷徨』刊行。帰郷後は看病や育児の手伝いなど家庭中心の生活を送り、昭和16年発表の随筆「大田洋子と私」が最後の作品となる。戦後は内職をしながら、亡くなった末妹の遺児を引き取り親代わりとして暮らす。昭和44年、「第七官界彷徨」が「全集 現代文学の発見」第6巻『黒いユーモア』(學藝書林)に収録。昭和46年、肺炎で死去。
編者
石原深予(いしはら・みよ)
1975年、京都府出身。京都府立大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得認定退学。博士(文学)。文学研究者。著書『尾崎翠の詩と病理』(ビイング・ネット・プレス 2015)、『前川佐美雄編集『日本歌人』目次集(戦前期分)』(私家版 2010/増補・修正版 2020)、共著『「日本心霊学会」研究 霊術団体から学術出版への道』(栗田英彦編 人文書院 2022)等。