
〈ルリユール叢書〉第48回配本 (69冊目)
ガブリエル・マルセル 古川正樹=訳
渇 き (カワキ)
予価:本体価格2,900円+税
予定ページ数:232頁
四六変形・ソフト上製
ISBN978-4-86488-327-6 C0397
刊行予定:2025年7月下旬
僕の側から思うことは、パパは極度に不幸な人間だということだ。パパが自分の痛みと連絡をとり合うことが少ないほど、それだけ不幸なんだ。一種の朦朧(もうろう)とした「渇き(ソワフ)」で、それがパパを貪り食っているんだ。パパ自身はこの渇きを知らない――まさに、この渇きがパパを貪り食ってきたがゆえに。日常生活における真の「愛」の実相が家庭劇の対話を通じて追求され、登場人物各自の自発的な自己反省から人間存在そのものの内なる飢え、〈渇き〉という存在論的問題が浮き彫りにされる――「形而上的体験」が具現化された、哲学者ガブリエル・マルセル中期の代表的戯曲。本邦初訳。マルセルの戯曲は、人間の日常生活の現実を凝視するところから生まれており、何ら架空の創作ではないところに意味があります。われわれが多く見ないふりをしているものを彼は凝視して創作していることに、私は気づきます。彼の作劇は、最も身近なものへの関心から生まれているのです。だから、われわれ自身を反省させないものは一つもありません。このようにしてわれわれは彼の劇によって自身の「状況」を反省し、意識するようになります。この意味は大きいと私は思います。アメデもまた、われわれ自身の状況的反省の媒体であり、彼の「渇き」を省察することも、われわれの自己反省行為そのものとなります。私がマルセルの戯曲と関わるのも、最も身近なものに隠れている最も深いものへの関心からであり、それを感得したいという欲求からです。
――「訳者解説」より【著者略歴】ガブリエル・マルセル(Gabriel Marcel 1889–1973)
フランスの哲学者・劇作家。パリに生まれる。6、7歳で劇作を試みた。十代半ばには音楽を、やがて哲学を志してソルボンヌ大学に入学。21歳で教授資格論文「シェリング哲学との関係におけるコールリッジの形而上学的諸理念」により合格した後、保養先の英国で交霊術にも深い関心を懐く。若年時からの知的・人間的素地、経験や関心に基づき、愛の問題を中心とする独創的な哲学的反省を展開しつづけた。カトリックとなるも教義とは無縁で傍観的な立場に留まった。
【訳者略歴】古川正樹(ふるかわ・まさき)
1957年11月、鹿児島県に生まれる。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。仏語論文「メーヌ・ド・ビランにおける哲学と宗教」により、パリ゠ソルボンヌ大学哲学博士(成績mention très honorable)取得。鹿児島大学・早稲田大学講師等を務める。著書に、彫刻家高田博厚が大画家ジョルジュ・ルオーの軌跡に即して述べた深い人間思想を初めて本格的に論じた『形而上的アンティミスム序説――高田博厚による自己愛の存在論』(舷燈社)、訳書にガブリエル・マルセル『稜線の路』(幻戯書房)がある。